書きたいことがまとまらない

4/17に本番(マーラー交響曲第9番)があり、いつもなら書きたいことが山盛りで、この日記もすぐ更新するのですが、今回はなかなかまとまらない。
自分自身の演奏の出来以外にもいろいろあったのですが、それはさておき、演奏面に的を絞ってもなかなか書ききれない。というか、整理がつかない状況です。
以前、とあるアマオケのホルン奏者の方と「ホルン演奏への老いの影響」について話していたときに、「5歳ごとにガクンと来るよ」と言われたことがありますが、最近痛感します。40歳を過ぎてから、目に見えて演奏面に支障が出ている気がします。
本番当日も、3楽章の4分の2拍子のあとと、4楽章の最後のソロで音をはずしたのは論外として、もっといろいろと表現したいことがあったのに、体がついていかない感じがします。1楽章の最後の方で、実音Hの音程をEsクラと合わせるのを半ば放棄して音を当てに行ってしまっていましたし、フルートとの2重奏も、テンポの様子見など表に見せずに、自然にラインをつけることが可能だったはず。周りの音程を下げさせればいいのに、結局チューニングを上げてしまったので、4楽章のソロはちょっと気持ち悪かったし。書けばきりがないなあ。でも、地力の衰えで、自分自身の演奏にはいろんな支障があったと思います。以前マーラーの9番の1stをやったのは22歳の時でしたが、そのときはこんなではなかったのになあと、どうしても昔と比較してしまいますね。
若いうちなら「次までにがんばろう」と前向きになれましたが、今回の問題点のようなことを次回演奏会に出さないようにするための基礎力の立て直しが、次回までに間に合うとは到底言えない気がします。というか、多分今後は無理なのではないかと。こんな状態で人前で演奏していいのかと常に葛藤している状態です。これはアマオケをはじめて30歳を過ぎたあたりから感じていることですが。仮に自分がお客として呼ばれた場合に、どうなのかと。演奏会の回を重ねるごとに葛藤が大きくなっていくような。
思考の方向性が後ろ向きになっていますが、家庭や仕事の面も大きいかなあ。将来について前が本当に見えにくくなって来てますし。ホルンを吹くこと以外はポジティブシンキングを心がけていたのですが、全体的に混沌としている気がします。そんななか、ホルンの練習時間を取ることが、精神的にも物理的に難しくなっています。練習していることそのものに後ろめたさが出てきたり。この程度のアウトプットしか出せない練習なら、別のことをやったほうが周囲のためにも幸せなんじゃないかなとかね。
ここでホルンをやめてしまっても、やめないで続けても、いろいろと禍根が残るよなあ。最近、自分が死ぬときに周りの人に感謝の言葉を述べられるかどうかというのをなぜか考え続けていますが、ホルンをやめてしまった場合は悪態を付くのではないかというシミュレーションしか出来ていないので、とりあえず止血しながら現状維持という状態で今後半年間は走りたいと思います。
次回の演奏会は、ショスタコーヴィッチの交響曲第11番、チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」、グラズノフの叙情的な詩です。ショスタコとチャイコの3rdで様子見させていただきます。チャイコの3rdは思っていたよりも行けそうですが、ショスタコはかなり大変。十数年前に1stを吹いたことがあるのに、今回は3rdでも無理かも。