パーヴェル・グルホフ

melchi2004-10-22

彼は、サンクトペテルブルク・フィルの主席ホルン奏者アンドレイ・グルホフ氏の息子で、同フィルのホルン奏者でした。

彼とはじめて会ったのは1996年、サンクトペテルブルク・フィルの東京芸術劇場での演奏会後に、ネロ地下で行われた同フィルホルンパートと日本人有志による飲み会の時でした。あのときは、父アンドレイ氏の髪はまだ黒く、息子のパーヴェルは初々しい青年だったなあ。
「親子で同じオケでホルン吹いてるんだ。グルホフ(父)さん、いくつよ?」という質問に「40!」という答えがかえり、会場が騒然としてたっけ。髪は黒くても、既に50代にしか見えなかったし。
余興の日露アンサンブル合戦の演奏は、大変素晴らしかったのに、途中私の拙いフリッパリーズでお耳汚しを(汗)・・・そう言えばあの時、私の後輩のHさんがパーヴェルに口説かれてて大変だったなあ。

そして、昨年(2003年)10月の同フィルの来日公演の後、池袋で飲み会があり、たまたまパーヴェルと隣の席になりました。お互い片言の英語で、あまり難しい話はできないため、まあひたすら飲もうという雰囲気になり、途中から加わった私のサークルの後輩(♀)に無理やりウォッカの一気飲みをさせたりして、大いに盛り上がったっけ。周りはプロのホルン奏者と音大生がほとんどで、みなまじめに話してるのに、私とパーヴェルの一角だけ学生のコンパのような盛り上がりで、相当浮いていたような。

そしたらえらく気に入ってもらえたらしく、離日前夜(飲み会の翌日)、ホテルの部屋に、某在京プロオケのFさん、私、後輩(♀)が呼ばれました。部屋に入った途端に目に飛び込んできたのは、ウイスキーのビンが数本と、山のようなペプシコーラのペットボトル、それと乾き物少々・・・日曜の夜9時過ぎだというのに、今からこれを全部コークハイにして飲むところを想像したら、笑い出すしかありません。

この日は、前日とはうって変わって真面目でした。アマチュアホルン奏者というのは、ロシアではあまりいないという話。これも日本経済が豊かなためだろうとのこと。確かにそうですね。

しばらくすると、ちょうどテレビでマーラーの復活をやっていたので、それをしばし鑑賞。しきりに「変な曲だ」と言っていたのが印象的でした。そう言えば、ロシアのオケってあまりマーラーやらないですね。お国柄でしょうか。

ほかにも、ロシアの音楽教育事情とか、いろいろな話をした気がするけれど(Fさん通訳ありがとうございました)、非常にためになったなあ。翌日は出勤日ということもあり、話途中で引き上げたけれど、本当に名残惜しかった。お酒を飲むとメチャクチャだけど、他人にすごく気を使い、やさしい人でした。


そんな彼が、7月くらいにバイクに乗っているときに車に巻き込まれる事故に遭って、亡くなっていたんですね。知らなかった。昨日パイパーズの11月号(vol.279)を読んで、はじめて知りました。
言葉はほとんど通じてなかったけど、何となくウマが合うようなところがあり、次回の来日を楽しみにしてたのに・・・・・・・・悲しい。