ホルンもボーイングを意識すべきだと思うのですが・・・

この前の土曜日(5/7)は、娘(7歳)のヴァイオリンのレッスンに行ってきました。
スズキの本を使っているのですが、早いもので4巻のヴィヴァルディのイ短調のコンチェルト(第1楽章)がそろそろ終わりそうです。この調子で行くと、秋口にある発表会では、バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲(いわゆるドッペルですな)をやる確率が非常に高いです。今日(5/11)のレッスンで、娘は「パパが1stパートを練習している」などと余計なことを先生に告げ口したらしいので、私が1stを弾く羽目になりそうな悪寒がします。おかげで最近は、ホルンではなくヴァイオリンの練習の方が忙しかったりしておりまして。。。
しかしながら、18年もブランクがあるせいか、全然勘が戻りません。3rdポジションに移動したはずなのに、2.9ポジとか3.05ポジとか、微妙にずれてしまいます。まずはポジション移動の練習からだな、これは。
それにしても、弦楽器がうらやましいなあと思うのが、ボーイングがある点です。運弓を考えるのは面倒な作業ですが、アップやダウンがあるせいで、管楽器にはなかなか出せない「彩り」を加えることができると思うんです。有名なところでは、春の祭典の「春のきざしと乙女たちの踊り」のところで、ひたすらダウンの指示が書いてありますが、視覚的にも効果的な上に、実際に出てくる音色でも、弓順で弾くのとは明らかに勢いが異なります。例えばホルンでああいった表現をしたい場合は、タンギングをキツくするとか、息のスピードを速くするとか、息の量を多くするとか、いろいろやりかたはあるにせよ、あの「下げ弓感」はなかなか出せないんですよね。ただ大きいだけとか、キツイだけの音になってしまいます。
そういった意味で、私が非常に尊敬しているホルン奏者がペーター・ダムです。ゆったりとしたフレーズになると、とりわけすばらしいソロを聴かせてくれます。
金管楽器をやっている人って、高い音を当てに行ったり、鳴りにくい音を無理やり出したりとかしているうちに、どの音もバランスよく鳴らす方向だけに意識が行きがちで、肝心の歌を忘れてしまう人が多いと思うんですよね。プロ・アマ関係なく。
随分前のパイパーズで、故ジェイコブズ御大(以前のシカゴ響のチューバ奏者)の弟子のマーティンが、「人前では練習ではなく演奏をしろ」「アーティキュレーションを意識しすぎるな」ということを語っていますが(こちらの記事)、これも同じことで、「音楽、すなわち歌をまず大切にすべき」ということを言わんとしているのだと思います。
そしてペーター・ダムは、音を出すという行為ではなく、歌を奏でるという姿勢が明確に伝わってくる奏者だと思います。さらにダムは、自分の歌を表現するための一つとして、弦楽器で言うところのボーイングまでを意識しているとしか思えないんですよね。あるいは、無意識に弓使いのようなヒダが音に出ているのかもしれません。いずれにせよ、すごいことだと思います。金管楽器のデクレッシェンド・クレッシェンドなんて、一本調子になりそうなのに、まるで弦楽器が弓の角度を変えたり、弓の速さを変えたり、弾いている位置を変えたりするかの如く、音色が多彩に変化して聴こえますし、アタックにも上げ弓、下げ弓の2種類あり、音色のポケットを沢山持っているように思います。ダムの音は「ホルンらしくない」と言う人も多いですが、その前にダムの奏でる「音楽」に是非耳を傾けて欲しいなあと思います。
何故このようなことを書いているかというと、オケで今度リムスキー=コルサコフスペイン奇想曲をやるんですが、1stパートを担当することになりまして、、、例の四重奏をどうするかを悩んでいるところなんです。聴いているCDのうちの1つは、歌のない、のっぺらぼうな音が並んでいる感じで、これはちょっとイヤだなと。あの譜面は、パっと見ボーイングを記入したくなる感じですし、後に弦楽器が続くことを考えると、イントネーション、さらに言えば、歌をそろえるためにボーイングを意識しながらやるべきだと思うんですよ。
家でさらうときは、その辺りを意識しながら吹いたりしているんですが、一応ヴァイオリンをかじったことがあるはずなのに、なかなかダムのようには行きません(当然か)。「ボーイング」ではなくまずは「歌」を持たなければならないんですが。その前に、バテて最後まで吹けずにヒーヒー言っている自分が情けない限りです。。。